bl novel #08

ふわふわたまごのオムライス 01

 ふわふわ柔らかくて、口の中でとろっとトロける。優しい甘さとバターの香りが広がる金色のたまご。
 そこに包まれる真っ赤なチキンライスはケチャップの程良い酸味と、鶏肉のうまみが一粒ひとつぶにしみこんでいる。
 そんなたまごとチキンライスをまとめているのは、じっくり煮込んで玉ねぎが溶けきってしまっている極上のデミグラスソース。仕上げに、生クリームをちょっと垂らせば出来上がり。
 昔ながらの洋食屋で食べられるオムライスは、決して家庭では出せない味だけれど、どこか懐かしさを覚える親しみのあるものだった。
 子どもながらに、その味をずっと守っていかなければならないと、使命感にも似た決意を抱いていた。両親の笑顔が最高の隠し味だった、アットホームな洋食屋は、幼い僕の、世界のすべてだった。
 僕はもう一度、あの場所に帰りたい。もう一度、父さんと母さんと一緒にあの場所に帰りたい。今度は僕も、隠し味の一部となって、幼い僕にはできなかった支えとなって。
 あの味を守るんだ。そのためには、人生のすべてだって捧げてみせる。
 と、決意だけは立派なものの、
「今日は、五個か」
 現実は受け入れがたいものだ。
 盛大に抱えたたまごの在庫を視界の端にとらえて、顔ごと背ける。たまごは、まだいい。数日間なら使用することもできる。本当は、今朝とれたばかりの新鮮なものを使うのが一番だが、わがままも言っていられない。それに、提供しているのはあくまで弁当なのだ。
 いくら出来立てを購入していったとしても、持ち帰る間に冷めてしまい、冷たくなったものを食べる人も多いだろう。冷めてしまったら、よほどの玄人でない限り、たまごの味の違いなどわからない。
 その場でも食べられるように申し訳なさ程度の席も用意しているけれど、目の前で食べてもらえることなどまずなかった。
「昨日は八個。その前は十個。やっぱり、順調に落ちていってるな」
 新しい場所で販売すると、出足は好調。毎日の目標である一日三十個、完売することも珍しくない。しかし一週間ある販売期間のうち、好調なのは最初の二日間ぐらい。日を重ねるうちにどんどん減っていく販売数。三回目を購入するリピーターはまず、いない。
「仕方ない、ことなんだ……」
 移動販売車を使っての弁当販売。それが、現在の僕の仕事。よく言えば小さなちいさな飲食店のオーナーシェフだが、従業員もいなければお客もいない。実に最低な店だ。
 僕は幼い頃から、自分のレストラン――洋食屋を持つことが夢だった。それだけを目標に掲げて、人生を送ってきたと言っても過言ではない。たかだか三十前の若輩者がこんな言い方をすると大げさに思われるかもしれないが、僕にとっては人生のすべてをここに捧げているのだ。そのために、自ら試行錯誤して敷いてきたレールの上をゆっくり、確実に、進んできた。
 飲食店出店のための専門的知識と資格を得てから、目標にしている有名レストランに就職。その後、順調に修行を重ねて店を持てるだけの資金を貯めるまでに、先輩たちから技術を盗もうと思っていた。
 しかし、なにも問題を起こしていないはずなのだが、わずか三年で解雇された。皿洗いや仕込みの見習いを終えて、ようやくお客さんに提供する料理を作らせてもらえるようになった矢先の出来事で、僕は当初、置かれた状況を全く理解できなかった。
 今まで順調に敷いてきたはずのレールは目の前で突如として寸断され、脱線の危機にあった僕を救ったのは、ぼんやり眺めていたテレビに映しだされていた、夕方のニュースの特集。そこで紹介されていたのは、都心のオフィス街やイベントで活躍している、改造車一台でキッチンと店舗をかねた「移動販売車」を使った飲食販売だった。クレープやパン以外では、店舗で作られた弁当をただただ販売するだけも形態が主流と思われがちだが、今は車に搭載できる設備の技術が向上し、立派なキッチンとしても活用されている。その場で仕上げて暖かなものを提供できるキッチン搭載の移動販売車で作られ弁当は、ランチに長時間外出できないサラリーマンやOLだけでなく、サービス業に就く人々からも人気で、個人・企業を問わず新規参入が後を絶たないという。
 コンビニやスーパーマーケットにある出来合いの弁当、また店舗を構える弁当屋との違いは、特色のあるメニューにある。
 レストランに足を運ばないと味わえない味が、気軽に弁当になって近くにやってくるのだ。
 僕は、これしかないと飛びついた。
 今まで貯めてきた資金では、一軒のレストランを持つにはあまりに少なすぎるし、料理人としての経験も足りなすぎる。手持ちの資金で行うに適切で、誰かに食べてもらうための料理を提供することで得る経験値が大変魅力的。あらゆる意味で武者修行するのに、移動販売車での弁当販売はうってつけの場に思えた。
 準備期間はほとんどないに等しい。解雇を言い渡されてからの一ヶ月間は、ただ資金を得るためだけにレストランで働き、シフトをこなしてからは自らの店を作るために奔走。そうして、わずかな準備期間で何とか用意したこの小さな城を守るために、僕は今、試行錯誤を繰り返している。
 相談できる人などほとんどいなかったけれど、形だけは何とかできた。この世界におけるルールもなんとなくつかんできたと思う。一ヶ月も経てば落ち着いてくるだろうという甘い考えがあった。
 しかしそれはあまりに、甘い考えだったことを痛感している。
 出店してからすでに三ヶ月が経過しているが、僕は結果らしい結果をだせずにスタートラインから一歩も踏み出せていなかった。
「うーっす、オムさん」
「あ……菜さん、こんにちは」
 低い声が呼んだ「オムさん」という名はもちろん、本名ではない。「ふわふわたまごのオムライス」という、僕の店の名前からとった、この世界における僕の通称のようなものだ。
 だから僕も、彼を「菜さん」と呼ぶ。
「なーに、元気ないな? 今日もでなかったのか?」
 ふらっと顔をだした彼が、親子丼「菜」という店を出店している、同業者だから。
「いきなり確信突くのやめてもらえます?」
「オムさんがわかりやすすぎんだってぇ」
 甘いマスクで口元をぐっとあげると、それだけで女性が寄ってきそうな雰囲気を醸し出す。ただ彼は、残念なことに圧倒的な上品さにかけている。よく言えばワイルドとも言えるけれど、通り越して下品と捉えられることのほうが多いようだ。無精ひげを整えて名のあるブランドの服でもきせたら、それはそれはいい男であろう。但し書きに、黙っているときに限りと付け加えなければいけないが。
 そんな彼は、僕にこの業界のノウハウをたたき込んでくれた先輩で、出店から一ヶ月で大切な恩人になった。移動販売車での販売歴、十年ほどのベテランだそうだ。親子丼「菜」は僕と同じころに始めたらしく、最初は新人同士でライバルだと思いこんでいたら、とんでもない。彼が教えてくれなければ、出だしの一週間も乗り切ることができなかったのではないかと、今では思う。
「菜さん、昨日はいませんでしたよね?」
「昨日はいなくても今日はいる。神出鬼没の親子丼「菜」とは、俺様のことだ! なーんてな」
「…………」
「おい、黙るなよ。頼むから、なんか、つっこんでくれ」
「実際は?」
「いやぁ、突然空きがでたっつって、主催に泣きつかれたんだよ。まあ、愛しのおまえもいるって聞いたし、ちょうど暇だったし、顔出すのもわるくねぇなって」
「ふーん。そうなんですか」
「また、そうやってさらっと流すし……」
 おかしな一言が紛れていたことは気にしない。いちいち気にしていたら、疲れるだけだとすでに学習済みだ。
 しかしさすがベテラン。きっと、今日ぽっとやってきたというのに、僕よりもずっと売り上げを上げているに違いない。
 僕らの店の知名度は現在ほぼ同等のはずだけれど、僕との違いはやはり経験の差なのだろうか。
 正直に言うと、彼の店と僕の店がならんだら、派手なのは僕のほうだろう。彼が扱っているのは親子丼。僕はオムライス。セット内容を見ても、色鮮やかで華やいでいるのは僕のほう。しかし実際売れるのは彼の弁当だ。
 同じたまご料理を扱う店として、いろいろ盗みたいものだらけである。
「つーか、せっかく隣行こうと思ったら、おまえ、わざわざ面倒なやつらに挟まれやがってよぉ」
「え? 面倒って……何でですか?」
「オムライスなんつー単純な洋食やってるやつが、なんでわざわざ似たような料理の間にはいっちまうんだよ! ばかかおまえ。それに、こっちは三つ星レストランの出張店舗。こっちは去年のB級グルメ三位の料理。どーこのレストラン行っても食えるようなオムライス、誰が買うと思う?」
「……あ」
 しまった。
 そんな単純なミスを犯していただけでなく、指摘されるまで気づかないなんて最悪だ。きょろきょろあたりを見渡して、隣に出店している店をようやく確認する。
 どちらの店も、本日完売の看板が堂々と掲げられていた。
「んったく……いい加減、目ぇ鍛えろよ? 観察力がものをいうって、教えただろぉ? 自分ばっかり見てるナルシストは、のこれねぇぞ」
「すみません」
 眉間にしわを寄せて顔をうつむかせると、彼の太い指に額をはじかれる。
「いったっ!」
「ばーか、別に俺に謝ってもしょうがねぇだろ。こういうときは? なんていうんだっけ?」
「……教えてくれて、ありがとう」
「はい、よくできましたー」