bl novel #09

伯爵家御子息と運命の花嫁 01

 真っ赤な夕日が、仲良く手を繋ぐでこぼこ兄弟の影を長く伸ばしていた。
「にぃちゃんはもらわなくてよかったのか?」
「……にぃちゃんはもう、大人だからな。お菓子もらえないし、サンタもこないんだ」
「サンタはパパじゃん。にぃちゃんサンタもいるけど」
「しぃー。翼、そういうことは大きい声でいうんじゃない」
 兄が口元に人差し指を当ててそういえば、幼い弟はいけないことをしてしまったと慌てて両手で口をふさぐ。
「サンタはどこからくるんだ?」
「がいこく。とおくから、トナカイにのってくる!」
「そう。間違っても、パパじゃないぞ。いいな? つーか、六年生ぐらいまでそうしておかないと、お前新しいゲームもらえないぞ?」
「やだっ。それはやだ」
「だろ? にぃちゃんも困る。お前がゲーム買ってもらえば、にぃちゃんも一緒に遊べるんだからな」
「うん! 今度はあれもらおうね!」
「そうそう、あれな」
 二人は近所でも有名な仲良し兄弟だ。
 兄は空。
 弟は翼。
 そして父親という三人家族で、母親は弟が生まれて少ししたら星になってしまった。
 まだ幼かった兄は一生懸命母親代わりをしようと、弟の世話をした。
 父親は仕事で忙しかったが、弟は兄がいつも一緒にいてくれたので寂しいと思ったことは一度もないと言う。
 そんな仲良し兄弟は今日、町内会の催し物に参加していた。
「なぁ、にぃちゃん」
「ん?」
「はろうぃーんって、なんなの? なんのおまつり?」
「さぁ? オレがちっちゃいときからずっとやってるけど……気にしたことないな。かぼちゃおばけのお祭りじゃないかな? 子供が仮装して、大人からお菓子もらうっていう」
「ふーん……そーなんだ。でもさ、こうやってタダでおかしいっぱいもらえるのはいいよな! だからにぃちゃんももらえばよかったのに!」
 この町内は活気ある商店街を中心に構成されているせいか、住人同士の繋がりが強い。子供の顔を見れば、どこんちのだれだれちゃんと、誰でも言い当てられるほどだ。
 それには年に一度のこのイベントも一役かっているといって過言ではない。
 十月最終週の日曜日に、仮装した子供たちが小学校を中心にしてあちこち家を訪問しては、お菓子をもらって歩くのだ。
 そして同時にスタンプラリーも行い、指定された家を全部めぐって帰ってくると駄菓子屋さんで使える三百円チケットがもらえるとあって、子供たちはとにかく真剣だった。
 参加できるのは小学生以下の子供に限られており、必ず友達か兄弟姉妹と二人以上で組を作らなければいけない。
 しかしながら、明朗快活で人懐っこく、友達が多いはずの翼がこの日だけは「にぃちゃんといく」を譲らない。だから空は毎年付き合う羽目になっているのだ。
 しかも去年まではまだ成人前ということでお菓子を渡されていた。今年は断る口実もあったし、大人たちもさすがに用意してなかったので空はほっとしていたのだが。
「前やったときは、もらったのに今日はもらえないなんて、にぃちゃんかわいそうだ」
「かわいそうじゃないって。にぃちゃんもう大人になったんだからいいんだよ」
「でもまだ、がっこう行ってるじゃん」
「しょうがないだろ? ちゃんと大学いかなといい仕事できないんだから」
 ぽんぽん頭を叩くとさすがにイヤなのか、翼はぶんぶん頭をふって頬を膨らませる。
 空は今年成人式を終えた二十歳の大学生だ。翼とはちょうど十歳離れていて、翼は今年小学校四年生。母親が居ない分甘やかして育てた覚えはあるので、少し、同級生よりも幼い印象を受ける。
「むー……にぃちゃん、パパみたいにしごとすんの?」
「大学終わったらな」
「そしたら、あんまり家にいなくなるんだろ。ゲームできないじゃん」
「そのころには、翼も中学生だからそんなに家にはいないだろ」
 せっかくお菓子をもらったというのに翼はご機嫌ななめのようだ。
 翼は空が大人になってしまったことが気に入らないらしく、今年に入ってからたびたびこんなやり取りをしている。
「にぃちゃんは、にぃちゃんだけどうちのママもやってるから、仕事しないでママやればいいのに」
「ばーか。そしたら、オレとパパが結婚しなきゃいけないだろ?」
「パパとけっこんしなくていいよー。にぃちゃんはもともとかぞくだもん」
 この角を曲がると家が見えてくるというところで、つぶやいた翼の一言に呼応するように、その声は二人の耳に鮮明に響き渡った。
「そう。君のお兄さんは僕と結婚するから、君のパパと結婚してもらっちゃ困るんだよ」
 真っ赤な夕日を背にして立っているのは長身の男。
 自宅の前で待っていたと見受けられるが、多分、知らない人だ。
 逆光で顔はまったく確認できない。しかし、オペラのように滑舌よくつむがれた言葉と、大きく差し出された手に握られたバラの花束が、空の脳内に非常事態宣言を出していた。
 なんだろう。
 うまく言えないけれど、彼から感じる雰囲気というか、オーラがすさまじく異様で寒気さえ感じる。
 ――危ない。
 よくわからないけれど危ない気がする。
 すぐさま翼をかばうように背中へ隠したのは、もう、本能での行動だ。
「迎えに来たよ。僕の運命の花嫁」
「誰アンタ?」
 先ほどまで翼相手に発されていた優しい声とは打って変わって、場が冷え切るような低い声で空は長身の男を睨みつけた。
「おや……十年ぶりの再会だというのにつれないね。まあ、そんなところも素敵だけど」
 差し出されるバラの花束が少しずつ近づいてくるが、間合いを詰められないように弟をかばいながら空は後ずさる。
「にぃちゃん、だれ、その人?」
「知らない人だけど、翼は知ってるか?」
「ううん」
 翼はいまいち状況が飲み込めていないようで、空の後ろからひょこひょこ顔を出して長身の男を見たがっていた。
「こらこら、知らない人じゃないだろう? いいかい、翼くん。僕は君のお兄さんと深い絆で結ばれた、唯一無二の伴侶だよ」
 わけがわからなすぎて、頬を引きつらせてしまう。
 しかし結構頭は冴えているもので、冷静な自分を見つけた。
 この男、翼の名前を知っているということは、間違いなく空と翼を狙って待ち伏せしていたようだ。
 偶然通りかかった人間にバラを差し出されても引くけれど、知らない人間に待ち伏せされたらバラを差し出されなくたって引いてしまうだろう。
 なるべく拒絶を強く示すために、鋭いまなざしでキッと睨みつける。
「ゆーいつむーにーってなんだ? おむつ? なぁ、にぃちゃんなにそれ?」
 しかし翼は好奇心の塊、小学生である。遠慮なく緊迫した空気をすぐに打ち壊してしまって、がくっと肩の力が抜けそうになった。
 この長身の男を追い払う前に、翼を黙らせるのが先かもしれない。
 くるっと振り返って屈んで目線を合わせると、しっかり翼に言い聞かせた。
「変な人の言うことなんか、聞かなくていい。にぃちゃんもまったく知らない人だから。学校で言われただろ? 変質者に注意って」
「じゃあ、このひと、へんしつしゃ?」
「そう。だって男がバラの花束もって男に運命の花嫁とか言ってるの、アニメでも漫画でもゲームでも見たことないだろう? そんなのが実際に出てきたんだから、頭おかしいヤツにきまってるだろう? にぃちゃんがおっぱらうから、少し黙って待ってろ。いいな?」
「うん。わかった。にぃちゃんきをつけて」
 よし、と立ち上がって今度こそ不審者を追い払おうと勢いよく振り返った。
 が。
「なっっっ!」
 間近に男が迫っていて、思わずがばっと後ろ手で弟を背中に隠す。
「変質者とはまた、大きく出たね」
「近い近い近いっ! 離れろっ! このっ!」
 唇が触れ合ってしまいそうなほど顔が近くにあって、弟の身の安全の次に感じた自身への身の危険に、思わず足が出た。
 空は思いっきり男の腹を蹴り飛ばすと、意外にも男は無抵抗で、予想以上に後退してくれた。
 その隙に、久しぶりに弟を抱えてさっと家の門の中に入ってしまう。
「すぐうしろにいるからきをつけて、って、言おうとしたのに……にぃちゃんへいき?」
「だ、大丈夫。いいから翼は中に入ってなさい。はい、カギ」
「ちゅーされた?」
「してないっ! 男とそんなことするわけないだろう!」
「でもあの人、にぃちゃんのことおよめさんって……」
「いいから、家に入ってろっ!」
 まったく、いまどきの小学生はなんであんな簡単にこんなことを聞いてくるんだっ!
 翼を怒鳴りつけてさっさと家の中に帰らせると、空は自分が蹴り飛ばした相手の姿をまじまじと見つめた。
 自分よりも頭一つ分は大きかったし、間近でみた顔は目鼻立ちがはっきりして彫がかなり深く、相当日本人離れしていた……気がする。
 一瞬の出来事だったのでしっかり観察したわけではないが。
「……なんなんだよ、一体……って、あれ?」
 てっきりすでに立ち上がってこちらへ向かってきているかと思ったが、不審者は倒れたままだった。夢中だったので、加減をできず思いっきり蹴り飛ばし、打ち所が悪かったのかもしれない。
「……い、いや、変態の心配なんかすることないっ! 正当防衛だろ」
「う……ううぅ……そ、ら」
「っ!」

 ――ドクンっ。

 もう少し近づいて様子を見ようかと思ったが、うなり声とともに名前を呼ばれて、また家の門の内側へ帰る空。
 心臓が、今まで聞いたことがないほど早鐘を打っている。まるで、その音を誰かに聞かせたがっているかのようだ。初めての感覚に戸惑う空は、ぐっと左胸の服を握り締めて大きく深呼吸をする。
 なんだこれ。
 この男に名前を呼ばれたら、突然心臓がどくどく言い出した。
 なんか、身体が熱いし、浮いてるような感じがして変だ。
 おかしい。
 でも今は、目の前の不審者をなんとかする方が先。
 空は強い意志を持って男を見下ろす。
 ゆっくりと身体を起こす男は、本当に弱っているように見えた。
 顔色も異常に白い。
 肌白というレベルではなく、病的に白い。まるで、貧血を起こしている女子のような白さだ。
「血……、血が……たりな、い」
「は?」
「も、う……げんかい……」
 もしかしたら、本当に具合が悪いんじゃないかと思った矢先、半分ほど起こしていた身体から完全に力が抜け、男は再び道のど真ん中で倒れてしまった。
「お、おい! アンタ!」

 ――ドクンっ

「いっ!」
 先ほどよりももっと強く、痛いぐらいに心臓が跳ねる。声を上げる。
 空はそんな左胸を押さえつけながら、男に駆け寄りたい衝動が走っていることを感じて目を瞠った。
 なんだ。なんなんだ。
 あいている左手が――自分の意思とは関係なく動く。男に向かって伸びる。
「なっ」
 門に手をかけて、ゆっくりとそこをあけようとしているのがわかった。
「や、やめろっ、なんで勝手にっ!」
 抑えていた左胸を開放して左手を押さえようと右手を添えるが、ぜんぜんびくともしない。まるでその部分だけ自分のものじゃない、他の誰かのものになってしまったかのような不思議な感覚に、恐怖を覚えた。
 なんで、こんなことになって。
 自分の身体なのに自分でコントロールできないなんて、気持ちが悪い。
 あまりの恐怖から思わず大声を上げそうになったそのとき。
「にぃちゃん?」
「つ、翼っ、出てくるなって!」
 兄の帰りが遅いことを心配してか、家の中に押し込んだはずの弟が顔をだして、はっと自分を取り戻す。
 左腕はさっきまでが嘘のように、自分で動かせるようになった。