bl novel #16

琴線に触れる

 なにもかもに反発して、なにもかもから逃げだして、たどりついた安息の地。
 この場所で、音楽を、その字のごとく音を楽しめるようになりたいと強く願った。

「なんでこんなアマチュア集団に、あんな人が」
「やばくない? すごい家の人なんじゃないの?」
「オレ、テレビでみたことあるかも」
「なんか小さいとき、注目されてたよね、親と一緒に……」
 ひそひそと小声で仲間内だけでつぶやいているつもりなのだろうが、意外と小声で話している声というのは耳につくものだ。そんな雑音を一掃させたのは、自分の隣に立っていた男の咳払い。その場に集まっていた、年齢も様々な男女の視線が、一斉にこちらを見た。
 見られることには慣れている。おびえることなく、崩すことなく、凛とした表情のまま、まっすぐに前をみつめた。
「以前から話していたとおり、彼が新メンバーだ。次回定期公演から参加してもらう予定でいる」
 部屋全体にとおる声の男から自己紹介を、と促されて、静かに、深々と頭を下げる。
「初めまして、生田です。生まれてこの方、古典ばかりに囲まれてきましたので現代邦楽は完全な初心者です。右も左もわからない素人ですが、どうぞよろしくお願いします」
 顔を上げるとまた、まっすぐに練習場の壁に向かって視線を送った。少しでも角度を変えると、誰かと視線を合わせてしまいそうで。昔から目つきが悪いといわれている。初日から威圧感を与えたくない。そのため、なるべく遠い目をするように心がけようと決めていた。
 しかし、そんな生田に対して。
「……壁に虫でもいるか?」
 隣の長身の男は小首をかしげながら問う。
「え? いや、いません、けど」
 突拍子もない質問に驚いて思わず彼に視線を送ると、むしろ向こうのほうが驚いたように首をかしげている。
「だったら、なにを見ていたんだ? そっちになにか見えるのか?」
「え、ちょっとやめてくださいよ、山田さん! こわいこと言わないで」
「ええええ、この練習場、でるとかでないとか、なんか噂あったっけ!」
「ないないないない……ない、よな?」
 先ほど一瞬張りつめた空気は一変。ざわざわと各々好きなように言葉を投げあうようになり、人数に見合わない広い練習場は、一気に賑やかになった。
「た、建物自体は新しいから、大丈夫、でしょ? ね、えっと、生田さん?」
「あ、いや、すみません。僕はいつも、目つきが悪いと、言われてきたので……皆さんと、目を合わせないほうがいいかと、思って……」
 自分のせいで騒然とする人々に申し訳なく、また理由も非常に自分勝手なもので情けなく、だんだん声が小さくなっていくのと同時に、どんどんうつむいてしまう。
 しかし、真面目な顔をしてきっかけの質問を投げつけた男がそれを許さない。両手で頬を抱えられ、強引に上を向かせられると、まっすぐにこちらを見つめてくる、日本人には珍しいアンバーの瞳と視線が交わった。
 え、いったい、自分はなにをされて……?
「普通だろう? 俺のほうが目つきは悪いと思うが」
「でたよ、目で殺す山田!」
「うるさい、おまえは黙れ。生田は気にせずにじっくり見て、メンバーの顔を早く覚えてほしい。ちなみに、俺は山田だ。楽器は同じ箏になる。よろしく頼む」
「は、はぁ……」
 未だかつて、こんなにもまっすぐに正面から自分のことを見てくれた人はいなかった。名家の産まれだとか、天才児だとか、何かしらフィルターがかかった状態で見られることしかなく、親からでさえ、跡継ぎだからとか家のためだとか、押しつけられた役割の額に当てはめた状態でしか見てもらえなかった。
 自分個人のことなど、誰が見てくれただろう。
「団長、嬉しいんじゃないですかぁ? ずっと箏の二重奏やりたいって言ってましたもんね」
「ああ。楽しみにしている」
「わ、わかり、ましたので、あの、手を離してもらえると……」
「お、っと……これはすまなかった」
 すぐ間近にあった鼻だちのしっかりした端正な顔が離れていき、頬を包みこんでいた節ばった無骨な手の温もりも去っていく。あんなに近いところで人の顔を見たのなんて、一体、いつぶりだろうか。変に心音が早鐘を打っている気がして、目が泳いでしまう。
「今日は一日練習場を借りているから、皆、好きに練習してくれ。ミーティングは午後の昼食をとりながら。次回の定期演奏会のプログラムを決めていこうと思う。以上だ」
 団長と呼ばれていた男――山田がそう言うと、皆それぞれ自分の楽器を持ちだして、好きな場所に移動していく。三味線、琵琶、尺八、横笛、笙、鼓とほんとうに様々だ。その音色も自由気ままで、型にはまることはなく、個性が際立っているように思う。
 ああ、なんて呼吸がしやすいんだろう。
 思い切って飛びこんできてよかった。
「今日は、一日いられるのか?」
「はい。でも、さすがに箏は持ってきていなくて」
「ああ、俺のでよかったら使えばいい。車で持ってきている」
「ふたつも、ですか」
「生田がきてくれる予定だったから、持ってきた」
 裏のない、そして飾ることのない、直球なもの言いに好感を覚える。彼らの音楽を聴いたときに感じた心地よさの全てが、この男には詰まっているように思えた。
 半年前、この邦楽アマチュア楽団の定期演奏会と出会ったのは本当に偶然だった。窮屈な演奏ばかりを押しつけられる環境に嫌気がさして飛びだした先で、たまたま目についた現代邦楽の文字は、自分にとっては非常に新鮮だった。そういうジャンルの音楽が存在していることは聞いたことはあったが、一切、そのようなものを触れさせてもらえなかった。邪道だとかなんとか、父が言っていた気がするが、そんなことはない。確立した立派な音楽だ。
 どういったものは知りたい。とにかく一度聞いてみたい。そう強く願った生田は、親の目を盗んで演奏会を見に行って、息を呑んだ。
 なんて、自由で、楽しそうで、それでいて誇らしいのだろう。
 特に、そのときも箏を演奏していた楽団の代表である山田の演奏に心が惹きつけられた。同じ楽器を演奏しているとは思えない。箏をあんなにも楽しそうに演奏できる人がこの世の中にいるというのを、初めて知った。
 それからというもの、生田はすっかり現代邦楽の魅力にのめりこみ、楽団へと手紙を送り続け、ついに次回定期演奏会のための集まりにぜひきてほしいと連絡をもらって――今日に至る。
 丁寧な文字で書かれた手紙には、見学や仮入団ではなく、メンバーとして入ってもらいたいという言葉も綴られており、心底嬉しかった。あんなに興奮したのは、初めてだった。
「あの、山田団長」
「山田でいい」
「いえ、そういうわけには……では、山田さんと」
「ああ」
「箏はもう、長年、やってらっしゃるん……ですか?」
「いや、そうでもない。技術的には当然、おまえのほうが上だろう」
「いえ、そんなことは! 山田さんの演奏、すごく、素敵でした」
「……そう、何度も手紙に書いてくれていたな。ありがとう」
 自称とても悪い目つきだという目だが、生田にはとても優しく、柔らかいまなざしに思える。いまだって、目尻を下げて微笑んでくれているし、とてもではないが目で殺すなどという印象はうけなかった。
「僕も、山田さんのように、心に訴える演奏が、したいです」
 いくら技術があっても、自分の演奏はただ機械のように正確さを求められるだけ。そこに個人の感情なんて一切必要ない。
 しかし、山田の演奏は違った。
 心臓が、揺さぶられる演奏だった。身体の表面を滑っていく形だけ綺麗な音ではなく、内側に突き刺さる、非常に力強い音色。今、伝えたいことの全てが籠もっている。そんな気さえした。
「できるさ」
「……え」
「おまえなら、できる」
 手紙では何度もやりとりをしていたが、顔をあわせて話をするのは今日が初めてだ。しかし彼は、簡単に言ってみせる。しかし、社交辞令や適当に言葉を紡いでいるわけではない、気がした。
 確信を持って、発言しているのだ。
 まるで、生田のことを知っているような口ぶりに、少しだけ戸惑いを覚える。
 よぎったのは、不安だった。一方的に彼の音楽に惚れこみ、手紙でやりとりしているだけではわからなかったけれど、やはり彼も自分のことをフィルター越しにみていて、TVでみたことがある「生田」や、親や周囲が求めているような清廉潔白な音を紡ぐ機械である「生田」だからできると確信しているのだろうか。
 またうつむいて、山田の顔が見られなくなってしまう。
 すると、先ほどと同じように無骨な手が両頬を包み、上を向かせる。距離はあるが、またまっすぐなアンバーの瞳とぶつかった。
「自由に、気持ちを解き放って演奏するだけだ。堅苦しいことはなにもない。さあ、おまえにならできるはずだ」
 演奏のように力強いその言葉に、生田は目を瞠る。
 彼は、山田は、どこまでも一直線だった。穿った捉え方をしていたのはむしろ、自分のほうではないか。
「……やって、みます」
 触れられる頬が熱い。あの目に見つめられると、胸の鼓動が高鳴って仕方がない。人と距離を置き、ずっと拒絶しながら今まで生きてきた生田にとって、こんなにも雑念のない一途なまなざしをむけられることなどなかった。
 だから、だろう。こんなにも、どきどきするのは。
 用意されていた箏の前に座り、緊張の面持ちで構える。角度が違うなど、罵声が飛んでくることはない。ただ、練習場中の視線がこちらに集まってきていることはわかった。
 自由な気持ちを解き放つ。
 いま、率直に、ただひとつ伝えたいことは、感謝だ
 山田に出会えたこと、山田の音楽に触れられたこと、自分を受けいれてくれたこと、そして、自由に呼吸をさせてくれること。
 なにより――
「っ!」
 思うままに、箏を演奏することを許してくれること。
 ずっとこうしたかった。自分の思うままに、ありのままに、なににも抑圧されることなく、音を楽しみたかった。
 嘘みたいに指が動く。こんなにも、演奏することは楽しかっただろうか。気持ちがどんどん高ぶっていき、それ以外なにも考えられなくなる。
「……これは」
「すごい、ですね」
「ちょっと、とんでもない人、きちゃったんじゃない……やっぱり」
 団員たちがざわめく中、満足そうに、そしてどこか懐かしそうに生田の演奏姿を見つめる山田の姿が。
「本当に……変わってない。いい音だ」
 生田の演奏する箏の音はどこまでも澄み渡り、聞いたものの心に響く、美しい音色であった。演奏を終えた生田に、その場にいた団員全員が、拍手をしながら近づいて称えてしまうほどに。歓喜に包まれた練習室で、頬を上気させて幼い笑顔をみせる生田は、純粋に音を楽しむ喜びを知り、称えてくれる団員たちの賞賛をきちんと正面から受けとり、感謝を伝えた。

 そして生まれてはじめて、音を楽しみ、箏が好きだと素直に認めることができた。




2017/09/29 サイト公開 | 2017/03/05 J.GARDEN42発行無料配布本に掲載


 
 
 

 
 
 

 
 
 

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