bl novel #20

パジャマの甘い命令

「は……ちょっと、なんですかそれ、聞いてないですけど」
「今初めて言った。聞いてなくて当たり前だ」
 偉そうに言い放った人は、こちらをちらりとも見ようとせずに、鋭い眼差しをノートパソコンのモニターへと向けている。いつものように、スケジュールを確認するのと変わりない様子で指示をだしながら、各取引先へのメールを苦なく打つ姿にもう驚くことはないけれど、同じことをできるとは思えない。
 なんで口でしゃべっていることと、指で打ちこんでいることを、別々にできるのか。
 通常ひとつしかない脳みそを動かすための駆動用モーターが、彼にはふたつ搭載されていて、まったく違う回転をしているのだろう。
 無感情な面差しのこの男が優秀なことなど重々承知しているけれど、本人が優秀である自覚がないために、なぜこんなこともできないのかと、他人に、特にオレに同等の能力を求めてくるから困る。
 そして、できないと答えたならば心底理解できない様子で目を瞠って、じわりじわりと眉間に皺をよせるあの表情をみるのが、苦手で、嫌いだった。
「明日の会議で必要になる。相手の予定がそれしかないというのなら、そこでやるしかない」
「貴方にならできるから、了承したと?」
「ああ。明日の会議まで、まだ時間はある」
 一瞬だけモニターから視線を外してこちらを一瞥する視線に温度はない。
 熱さも冷たさもなにもない平坦。
 ああ、これは、一番よくないパターンだ。
「……わかりました。データください。オレがまとめます」
「は?」
 ため息まじりの一言に珍しく意表を突かれたのか、顔をあげ、こちらをまじまじと見つめる目を点にしている。
「そうじゃなくても、貴方は仕事が山積みなんですから、急遽ねじ込んだそれはオレが片付けます。現在抱えてる仕事だけ終わらせたらさっさと帰って寝てください。いい加減倒れますよ」
「おまえじゃあるまいし、これぐらいで倒れるような柔な身体はしていない」
「でも、目の下だいぶヤバイですし、明日の会議を万全の状態で迎えてもらわないと困るんっすよ。だから、ほら、早くデータください」
 大げさではなく、明日の会議には社運がかかっている。と、彼は、社長はよく口にしていた。わざわざ口にだすくらいだ。相当なのだろうと認識している。
 他の社員がどうしても話しかけにくいからという理由で、現在は秘書もどきをやっているものの、平社員であることにかわりない自分には会社の経営状況やら、今後のビジョンだとかはわからない。
 なぜだか気に入られて、なぜだか唯一まともに会話ができる貴重な人材として扱われ、気づけば彼との付き合いも五年になる。
 体調を崩すときのパターンも大体読めるようになっている。今回は特に、そのパターンにはまり込んでしまっていた。
 大きなプロジェクトのコンペティションへ参加する前、同じくプレゼンテーション前、仕事にのめりこみすぎてあたりが見えなくなり、周囲への対応が一気に酷くなる。その被害をたびたび食らってきた弊社社員は皆、そういう時期の社長に近づかなくなって、ますますコミュニケーション不足で仕事が円滑にまわらず、騒動に発展することもしばしば。
 そこで、潤滑油として白羽の矢が立ったのがオレだ。
「明日絶対だぞ。間に合わなかったじゃすまないが、おまえにできるのか」
「できるできないじゃなくて、やりますよ。絶対に」
「自分でやったほうが確実で早い。おまえは自分の仕事に戻ってさっさと」
「いいから、黙ってよこせって言ってるんです。貴方こそ、さっさと自分のやる予定だった仕事終わらせて帰って寝てください」
 パーティションで区切られているだけの社内に珍しく響いた大きな声。ざわめいていたフロアがしん、と静まり返った。
 あー、やばいな、これ。
 努めて冷静に諭すつもりだったけれど、いつのまにか冷静さを失っていたらしい。
 自分でも、ちょっとボリュームが大きすぎたと思ったけれど、今更遅い。社長は怪訝そうに眉間に皺をよせて、大きく呆れたため息をつくと、整理する資料が入った記録媒体を投げつけてくる。
「勝手にしろっ」
 胸裏で慌てながらも、履き捨てられたありがたいお言葉と一緒に受けとると、オレはもうこちらを一切見てくれそうにない彼にひとつ頭を下げてから、自分のデスクに戻った。
「……大丈夫ですか」
「明日までに資料まとめるだけだから。問題ない、問題ない」
「いやでも、それ、社長がひとりで抱えてて、だれもわかってない案件っすよね」
 隣の席の同僚が心配してこそこそと話しかけてくるが、適当な相づちと返事をするので精一杯だ。
 なんせ、あの人が自分がわかるようにかき集めた資料を、明日の会議に使えるようにまとめなければいけないのだから。
 まずはどんなデータがあるのか確認。明日の会議の要点になりそうな部分の精査をして、より見やすくわかりやすくしなければいけない。さらに言えば、社長が取引先との話を進めやすくするために、あの人の考えそうなことも盛り込んで……。
 ああ。そろそろちゃんと休ませたかったとはいえ、さすがにこれを引き受けたのは早まったかもしれない。
 必死に画面とにらめっこしてキーボードとマウスを無言で操作するオレに、周囲は哀れみの視線を向けてくる。
 また鬼畜社長に付き合ってかわいそうに。
 きっと、そんな風に思っているのだろう。
 でもまあ、自分で首を突っこんでいるし、あの人の健康のためになるのなら、別に悪くないと思ってる。

   *   *   *

 結局、指示された資料作りを終えて、帰宅できたのは日付をまたいでずいぶん経ってからだった。
 仮眠をとったらすぐに出社して、最終チェックをして、社長に提出しなければいけないし、その後もダメ出しが入る覚悟でいなければ。
 会議の時間まで、みっちり予定がつまりそうだ。
 念のため、保険をかけて家にもまとめた資料を持って帰ってきている。
「ただいま」
 しん、と静まり返って冷え切った室内は、小声でも響いてしまって、起こしてしまったのではないかと心配になった。
 靴を脱ぎながら耳をすませても、物音を立てているのは自分だけ。さすがに「同居人」は眠ってくれているようだ。
 ほっと胸をなで下ろしながら寝室のドアの間を通り抜けてリビングに顔をだす。持ち帰った資料をテーブルのうえに置いて顔をあげたとき、オレは身を跳ねさせた。リビングのソファーにまるまって寝転がっている、人影に驚いたのだ。
「……んでここで寝てるんだよ……」
 思わず、悪態が漏れる。その人影はまるでネコが眠っているかのように器用に丸まっていて、うえになにもかけておらず、寒くないのかと心配になった。
 ブランケットを取りにいくか、起こして寝室へ誘導したほうがいいか悩んでいるうちに暗がりに目が慣れてきて、薄暗い中にはっきりと浮かび上がる姿。
 ふかふかで淡い色合いのルームウエアは、気に入って買ったもの。揃いで着ようとあんなに言っていたのに、結局先に独りで着てしまったのか。たぶん、昼間、職場でうけたストレスのままに苛立ちをここにぶつけたのだろう。
 オレががっかりするとわかって、こういうことするんだから。
「明るいところでちゃんと見たかった」
 はっきりと見えないのが残念なくらい、きっと似合っているのだろう。
 ぼそっと、本音がこぼれた。
 すると、その声も大きかったのか、ふるりと身体が揺れて、まぶたがうっすらと開く。寝ぼけた視界でこちらをとらえると、むすっと不機嫌そうに頬を膨らませて腕を伸ばしてきた。
「遅い」
「……明日までに絶対の仕事を、片付けていたんで」
「もう、今日になっているが。オレならもっと早く片付けられた」
「でも、貴方がやってたらゆっくり休めなかったでしょう? こんなところで寝オチするぐらい疲れてるんだから、ちゃんと休んでくださいよ」
 抵抗することなく、むしろ喜んで首を差しだすと、しなやかな両手が後ろに回されて絡みつく。外から帰ってきて冷えていたはずのオレよりも、冷たくなっているんじゃないかとさえ感じる彼の体温が心配で、しっかりと抱きしめた。
「資料おいとけ。起きたら確認する」
「そういうと思って、ちゃんとおいてあります。起こしてすみませんでした。ベッド行ってちゃんと寝てください」
「おまえももう、一緒に寝ろ」
「いや、オレ帰ってきたばっかでシャワーもまだなんっすけど」
「寝ろ。社長命令」
「……家で社長扱いすると、いやがるくせに」
 一緒じゃないと動いてくれなそうなので、仕方なく、コートも脱がないままで彼を首に絡みつかせたまま立ちあがる。
 このところちゃんと食事をとってくれてなかったから、痩せたんじゃないかと思ってしまう。
 落とさないよう慎重にしっかり抱きしめたまま、丁寧に寝室まで運んだ。閉めきられていた寝室は予想に反して温まっていて、ベッドのうえに用意されていた揃いのルームウエアを見つける。
「これ」
「おまえがさっさと終わらせて帰ってこないから、ひとりで着ることになった」
 ちゃんと準備して、待っていてくれたのか。一体何時まで、着替えずに待っていて、何時ぐらいに着替えて、それでも寝室ではなくソファーで待とうとしてくれていたのか、考えると胸に奥から温かいものが顔にせり上がってきて頬が染まりそうになる。
「さっさと着替えて、さっさと寝るぞ」
「……わかりました、社長」
「家でその呼びかたやめろって言ってるだろ」
「自分で言ったのに、社長命令って」
「オレはいいんだよ。おまえがダメだ」
「うわっ、なんっすかそのわがまま」
「あー、もういいからさっさと着替えろ! 寝るぞ!」
 彼が、社長が、オレのどのあたりを気に入って、プライベートな時間まで共有させて、四六時中側においておくのか、いまいち理由はわからないし、言葉で伝えられたこともない。
 当然、こんな密接な関係のはずなのに、愛の告白とか甘いイベントも発生していないのだけれど。
「……おやすみ。今日は……ご苦労だったな」
「いえ。オレが勝手にやったことなので。おやすみなさい」
 こうして、ふたりきりでいるときにだけ聞かせてくれる甘えたような柔らかな声音から、含まれる気持ちが伝わってくるから、それで十分だと思ってしまうんだ。




2019/08/28 サイト公開 | 2019/03/03 J.GARDEN46発行無料配布本に掲載


 
 
 

 
 
 

 
 
 

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