E.F.K short story #01

優しい誤解と千の鶴 01

 回りまわった話がどうしてここまで大きくなってしまったのか。典型的な伝言ゲームの失敗例のような現状に、この部屋の主である桐沢奏は、肩にかかる男にしては少し長めの髪を揺らしながら大きなため息をついた。いや、よく考えたら伝言ゲームの失敗例ともいえないかもしれない。だって、ただの思い込みだ。錯覚だ。ほぼまず間違いなく誤解に違いないというのに、隣人の心の中では大事に変換されてしまったらしい。揺るがない決心でせっせと折紙で鶴を折る姿は実に彼らしく、献身的で健気であるがゆえにうまく制止する言葉がでない。自分はもともと口が達者なほうではない。
 あとは、本当にかすかにではあるが、彼の予想が当たっている可能性が残っていた。ありえないとは思うが、ゼロではないので怖いところではある。
「ほら、奏さんも折ってください」
「あ……あぁ。折り方知らねぇけど……」
「もちろん教えてあげますよ」
 隣人、桐沢修司の大きな瞳は揺らぐことのない決意の色で輝いており、奏はやはり強く止めることができなかった。手にしていたタバコを灰皿に押し付け、換気扇を止めてマイナスイオン発生装置だけを可動させておくと、狭い管理人室内に二つ並んだ事務机で鶴を折る修司の正面に座る。
 折り紙なんて産まれてこの方三十年と少しだが、手にした覚えもなければ、当然折った覚えなんて欠片もない。決して教えるのがうまいとは言えない修司の説明を聞いた、決して器用とは言えない奏が折っても結果は目に見えていた。それでも一応、やる気は見せておく。そうしないと後でうるさいのだ。
「奏さん何色がいいです?」
「じゃあ赤」
 おそらく国内唯一であろう、ゲイ専用マンション「イーストフラットキリサワ」に住み込みで二十四時間常駐の管理人として雇われている桐沢奏は、修司にばれないように眉間にシワを寄せながら差し出された折り紙を一枚手に取った。
「お前さ、一人で千羽折るつもりなのかよ?」
「もちろんですよ。でも、奏さんに少しでも手伝ってもらえると、とても助かります」
 着物のような和風の柄や箔の混ざった折り紙から目を離して顔をあげると、人好きのする笑顔でにっこりとお願いを押し付けてくる。
 奏はこれに弱い。こうすれば奏の中から断という選択肢がなくなることを、彼もよくよくわかっていてわざとこうするのだ。
 奏は頬を引きつらせながら、あまり外出しないせいかどちらかといえば色白の腕を伸ばして、ナチュラルブラウンの短髪をぐしゃぐしゃにかき回した。抗議の声が上がったがしばらく止めない。これから折り紙と修司の拙い教えから与えられるであろうストレスを、事前に発散しておこうという算段だった。
「もう! やめてください、奏さん!」
「お前あいっかわらず、やらけぇな、髪。触ってて気持ちいいわ」
「そうですか? 奏さんの髪も結構柔らかそうに見えますけど。あ、そういえば色変えたんですね。今回ちょっと明るめです?」
「おう。秋っぽい色を試させてくれって担当のヤツに言われてな」
 弟のようにも思っている可愛いかわいい隣人の修司は、十代のころから世話になりっぱなしの従兄の恋人で養子。つまり同姓婚の認められていない日本では、事実上の結婚相手とも言える。兄のように慕っている従兄と、弟のように可愛がっている修司が一緒になったことは、奏にとってもこれ以上ないぐらい喜ばしいことで、心の底から祝福したのはもう何ヶ月も前のこと。養子縁組みをするまでもしてからも紆余曲折あったものの、今ではすっかり落ち着き払っている。
 多少は新婚の甘さは引きずっているものの、照れはなくなったようで夫婦らしさも板についてきたと思う。そもそもこの二人は養子縁組みをする前から、新婚のような甘い雰囲気とピンクのオーラを撒き散らしていたのだから、奏からすればさほど変わりはない。
「似合ってると思います。もっと明るめでも奏さんなら似合いそうです」
「さすがに派手だろ」
 先日ヘアサロンに行ってきたばかりの毛先に触れる指先は、可愛い容姿とは裏腹に頼りがいがあるものの、あちこち赤くなりかさついていた。
 奏の行きつけであるカクテルバー「ベガ」のマスターをしている修司の手が、このところの乾燥した気候のせいもあってか荒れ始めているのを確認したのは先日のこと。見かねてハンドクリームを薦めてはみたものの、使ってくれていないのは一目瞭然だった。面倒くさいし食品を扱うからと難色を示した彼に、風呂上りに塗るだけでもずいぶん違うと伝えたのだがダメだったようだ。職業柄、あと家事が好きな性格柄仕方がないのはわかっているが、やはり荒れている指を見るのは心が痛む。これは旦那へ報告を入れておいたほうがいいだろう。愛する恋人の指先が荒れ放題と聞けば、彼は必ずうごくはずだ。
「俺の髪がやわらけぇのは、もとからじゃなくて、まめに弄って、トリートメントとかしてるからだろうな」
「え? 元から柔らかいのかと思ってました。凌さんの髪もそんなに硬めじゃないですし」
「おーい、修司。従兄つっても、俺と凌が血まったく繋がってねぇの忘れてねぇか?」
「あ……っと。そうでしたねー」
 あはは、と零した修司は視線を見事に逸らした。何かを誤魔化すようなわざとらしい乾いた笑いが引っかかりはしたものの、すぐに鶴の折り方講座を始められたので頭の片隅からも飛んでいってしまう。
 名前の挙がった凌というのが、修司の恋人であり奏の従兄だ。ただ、桐沢家という日本でも有数の名家は少々家庭環境が複雑で、戸籍上の従兄弟同士という関係でありながらも、奏と凌の血は一切繋がっていない。
 家同士の親戚づきあいもまったくなく、高校時代に家族に反発して家を出るまで存在も知らされていなかったぐらいだ。
 しかし、複雑な家庭環境に疲れて半ば家出同然に飛び出してきた奏を暖かく迎え入れてくれただけでなく、家族の愛情を無償で注いでくれたのが、従兄の凌と叔父の響だった。
 彼らがいなければ奏はきっと、誰かを愛すること、愛されることを知らないままだったに違いない。そしてこんなふうに、人と多大な関わりを持つマンション管理人なんていう仕事にも就けていなかっただろう。
 感謝してもしきれないほど、二人には世話になりっぱなしだ。
「そーいや、凌にはこのこと言ったのか?」
「もちろん言いましたよ。あ、奏さんそこ間違ってます」
「は?」
「そうじゃないです。こうです」
「……はいはい」
 奏は数年前に、凌へ恋愛感情を抱いていると他人から指摘を受けたことがある。未だに認めることはできずにいるが、凌が特別な相手であることは確かだ。常に冷静沈着で、物静かな彼はとことん無口ではあるものの、奏は凌のそばにいると安心できた。あんな大人になれたらと憧れていた部分はあったに違いないが、恋愛感情かと問われると首をうなずかせることはできそうにない。
 それは目の前で、はっきりと彼の恋人が登場したことも大きく関わっているのだろう。
 凌は修司に関することになると、少々、いやかなり頭のネジが緩んだり、抜けたり、飛んでいったりする。憧れの大人であった彼の姿は見る影もなく、心はどこまでも狭く、一回りのも下の恋人に振り回され続けている情けない一人の男に成り下がっていた。
 が、それも悪くない。むしろこのほうがよかったのだと思う。
 機械的に完璧に仕事をこなし、驚異的な記憶力で何でも覚えている凌を、どこかで人間らしくないと感じていた。そのイメージは、ここ数年で一変している。
「凌、なんて?」
「鶴作ったら、響さんも喜ぶんじゃないかって、メールで」
「メールかよ。帰ってきてねぇのか?」
「なんか忙しいらしいです。事務所に泊まりこみなんですって」
 勘違いをしている修司からの連絡で、凌が全てを理解してそのメールを送り返してきたとは考えにくい。忙しさにかまけて、差しさわりのない返事をしただけだろう。修司もなんと説明したのやら。
 これは本格的に、千羽鶴を完成させなければいけないかも知れないと思うと、自然に漏れ出てしまったため息。
「奏さんは心配じゃないんですか?」
「あ? あー……心配じゃねぇわけじゃねぇけど、ただ、本当かどうかわかんねぇなとは思ってる。だってあの響さんが入院なんてするわけねぇだろ。刺したってケガしそうにねぇぞ、あれは」
「ケガじゃなくて、風邪かもしれないじゃないですか! 風邪を侮ったらダメです!」
 最愛の兄を病気で喪っている修司は、こういったことに敏感すぎて困る。少しでも体調を崩すと、完治するまで全力で看病してくれるのだ。恋人にそれをするのはわかるが、なぜ自分にまでという考えは走る。それほど大切な人だと思われている証拠ということか。