E.F.K short story #03

あの日奏でた不協和音

 ぎりぎりになって決まった入寮の手続きが全て終了したのは、入学式を終えてからすでに一週間が過ぎていた。
 ワガママを言ったのはこちらなので、仕方がない。入寮させてもらえることになって、本当にありがたく思っているのだ。
 自宅からでも十分通える距離にある大学へ、なぜ寮に入らなければいけないのか。
 散々両親と口論した上に、母親を口説き落とせたのが入学式の三日前。母親に頭の上がらない父親をそのまま黙らせ、大学の事務局にようやく話を持ちかけたのが入学式の日。
 むしろ、一週間でよく入寮できるようになったと思う。
「こんにちは」
 入り口から寮監先生がいる管理人室を覗きこむと、大柄で人の良さそうな笑顔を浮かべた中年男性が外へ出てきてくれた。
「おー、君が早坂くんかい。待ってたよ」
「すみません、無理を言いまして」
「いいって、いいって。ちょうど一人分空いてたしね」
 前もって送っておいた荷物がロビーに転がっている。
「リースの布団はもう運びこんであるから、後は自分の荷物運んで、整理して」
「はい」
「後、古臭いやり方なんだけど、寮にいるときはあのプレート白にして、外出のときは赤にしてくれ」
 壁一面にかけられた寮に暮らす人々の名前。多すぎて、多分すぐには覚えられないだろう。
「食事とか、詳しいことは同室の子か寮長に聞いてくれるかい」
「わかりました。えっと……寮長っていうのは?」
「オレ」
「うわぁっ」
 突然背後から声をかけられて、身を跳ねさせる。勢いよく振り返るとそこに、長身の男が口元に意地悪な笑みを浮かべて立っていた。
「おう、お前が、わざわざんなとこに入りたがったっつー、物好きな早坂優太くん?」
「そ、そうです」
「いちおー、寮長っつーのをやってる教育学部の斉藤だ。よろしくな」
「あ、教育学部ですか。俺もです。よろしくお願いします。斉藤さん」
 早坂は手を差し出して握手を求める。すると、目を点にしながら斉藤はその手を握り返してくれた。
 そして、早坂の荷物を運ぶのを手伝ってくれる。
「基本的なことは同室のに聞いてほしいんだけどよ……無理だと思うから、なんかありゃオレんとここい」
「え? 無理と言うと……」
「……早坂、健闘を祈る。お前だけは、逃げないと、食われないとオレは信じてるからな」
「はい?」
 わけがわからないまま自室に連れて行かれ、斉藤にぽんぽん肩を叩かれた。何のことかわからぬまま、ノックして開けたドアの先に――静かに机に座る男が一人。
 醸し出している空気が静寂そのもので、音を立ててはいけないんじゃないかとさえ思う。
「藤本、邪魔するぞ」
「どうぞ」
 斉藤がその男に声をかけるが、こちらを見ることなく視線は手にしている本のまま。戸惑う早坂を他所に、斉藤はさっさと荷物を運び込んで部屋を出て行ってしまう。
 ぽつんと取り残された早坂はしばらく彼を見つめることしかできなかったが、彼と自分しかいないと思っていた室内にもう一つ気配がして早坂が動き出した。
「たつみぃ、この人だれ?」
「今日からルームメイトになるヤツ」
「えー……巽の部屋、ずっと一人部屋じゃないの?」
「入寮手続きし忘れてたバカがいたから、無理なんだってさ」
 ぐさっと早坂の胸にささった一言。家のごたごたを説明するのが面倒で、そういうことで話をしているので仕方がないが、それでもはっきり言われるとがっくりきてしまう。
 ――と、そんなことよりも、この気だるい空気を放っている人は、誰だ。
「あ、の。今日からお世話になる早坂です。よろしく……フジモトくん?」
「藤本巽。同じ年だから、敬語いらないよ」
「そうなんだ。ありがとう。それで、こちらの方は?」
「それ? ペット。もう飽きたし、後で捨ててくるから、それまでだったら使っていいよ? 溜まったモノ出すぐらいなら、自分でするより具合いいはずだけど」
「ちょっと、巽! ナニソレっ!」
「……はい?」

 それが、早坂優太と藤本巽の衝撃的な出会いだった。


 入寮から一週間ほど経ったある日の夜。一人で食堂に入った早坂はテレビの前に座る先輩たちに手招きされて、そっと駆け寄った。
「なんですか、斉藤さん」
「一人か?」
「ええ。藤本、飯要らないって言うんで」
 いいから座れ、と促されて腰を下ろす。周りにいた者たちもどこか、好奇の視線を向けてきている気がした。
「で、どうなんだ」
「何がです?」
「藤本だよ、藤本っ」
「ケンカもなく、仲良くやっていますよ。親切に色々と教えてくれますし」
「何をっ!」
「何をって……寮のことですけど」
 先輩たちがこんなにも白熱して聞いてくるのにはわけがある。そのわけも、三日と寮ですごせばすぐに見えてきた。
 同室の藤本巽は、幼い言葉で言うところの問題児だ。問題の度合いが中高生レベルではないので、その言葉はふさわしくないかもしれないが、他に表現のしようがないのでそう言っておく。
 しかし、人様に迷惑をかけているわけではない。いや、ある意味迷惑なのかもしれないが、関わらなければなんてことはないだろう。
 少しだけ、噂が一人歩きしているところもあるなと、早坂は感じていた。
「今は誰も連れ込んでないんだろ? お前が相手してるんじゃないかって言われてんぞ」
「斉藤さーん、藤本が俺なんか相手にするわけないじゃないですか。どうみても、藤本の好みとかけ離れてますよ」
「……そう、かるーく言えるお前を尊敬するよ」
 藤本は、とても欲望に忠実な人間だ。我慢をしない。自らの本能が求めるままに、睡眠、食事、性行為をしているように早坂には見える。そして性欲に関して言えば、その趣向が少々傾き気味だ。
 女の高い喘ぎを聞くより、男を組み敷いて鳴かせるほうが面白い。
 と、本人も言い切っているように、相手にしているのは同性ばかり。しかも、自分好みの子を連れ込んで、さらに自分好みになるよう育てていたらしい。
 早坂がやってきた日に「ペット」と言われていた相手も、その一人だったようだ。
 正直でいいんじゃないかと早坂は感じているのだが、もちろんそれは異端に思われて当然だろう。
「入寮したその日に同室になったやつ食って、部屋変え騒ぎになって、その後も同室になったやつが好みじゃないと男連れ込んで……まぁ、よくそんなヤツと同じ部屋でいられるよな」
「その最初の人っていうのは、誘いに応じたんですからそっちにも責任があるんじゃ?」
「ってことは、お前も一回は誘われたのか!」
「だーかーら……俺はあいつの好みじゃないですって」
 いつの間にか先輩が持ってきてくれた食事に目を丸くしながら、早坂は彼らの質問に一つずつ答えていく。
 こんな風に大勢の人の囲まれるのはあまり得意でないため、早坂は内心困り果てていたが仕方がない。こういう状況になりたくなかったらさっさと部屋を変えてもらったほうがいいと、藤本はわざわざ助言してくれた。それでも気にしないと、部屋にいることを望んだのは自分なのだから。
 ようやく食事を終えて自室に戻れたときには、食堂に到着してから二時間も経った後だった。
 珍しくぐったりしてベッドに転がっている早坂に、藤本が声をかけてくる。
「だから言ったでしょ。ここに居たら、面倒なことになるって」
「ははは、ほんとにね」
 背筋をピンと伸ばして座り、静かに本を読むこの男についたあんな噂を、初日の一件がなければ早坂は信じなかっただろう。藤本は宣言どおりその日のうちに連れ込んでいた恋人と別れ、以後、早坂に気を遣ってなのか誰かを連れ込むことはない。
 朝方帰ってくることや、夜中に居なくなっていることがよくあるので外で欲求不満を解消してきてるのだと思う。
「さっさと部屋変えてもらいな」
「無理やり入れてもらってる俺が、そんなこと言えないよ」
「家庭の事情でそうなったんだから、しょーがないんじゃないの?」
 藤本の言うとおりだ。親が自分の入寮をあんなに拒まなければ、こんな事態にはならなかったのに。
 普通の学校指定の学生アパートのようなところに入れれば、こんな風に他人と接することも無かったのだから。
 古臭い習慣のある寮に入り、大勢の人に囲まれてわいわい言われるのはいやだったのに。
「……って、え?」
 しかし、なぜ家庭の事情で早坂の入寮が遅れたことを藤本が知っているんだ。
 入ったその日は、手続きが遅れたバカとはっきり切り捨てていたのに。
「過保護な親もつと大変だよね。桐沢優太くん?」
 早坂がまじまじと藤本を見つめて、目をぱちぱちさせた。
「……あれ? 俺、何か話ししたっけ?」
「いや。絶対にちょっかい出すなって親から禁止令が出ただけ。もともと興味ないし、やっかいな相手だから構うつもりもなかったけどね。でも、そういうのを構うのも面白いかと思って」
「藤本の親って、まさか――っ」
「付属病院特別病棟の責任者」
「あー、藤本先生の、息子……かぁ」
 苦笑を一つ、観念したように大きなため息をついて藤本を見る。
「早坂の家に迷惑をかけたくないんだ。そっとしておいてくれないかな」
「別にお前の家族に興味ないって」
「藤本が言いふらすようなことしないのはわかってる。でも……」
「隠すようなことでもないんじゃないの? それとも二度と戻らないつもりなの? 音楽の世界」
「……戻らないよ。あんな汚い世界、戻りたくもない」
 音楽の女神に愛されし天才少年。
 気付けばそんな言葉で賞賛されるようになった自身の音楽を、認めてくれた人がいた。
「教会のオルガン弾いてるぐらいが、俺にはちょうどよかったんだよ」
「教会?」
「そう。俺、教会の施設で育ったんだ。桐沢の家は十歳あたりで引き取られた」
 桐沢という苗字を持った一組の夫婦は、イギリスの教会で奏でられていたオルガンの音色に惚れこんだ。
 彼らは、親に捨てられて施設で育った早坂を引き取り、音楽の才を伸ばすために手段を選ばなかった。
 出場する国際コンクールでは全て一番よい賞をもらい、その名を国内外問わずに知らしめていった。
 天才少年という言葉にふさわしい活躍。自身の努力が生んだ結果だと、最初は素直に喜んだ。でも、それは全て仕組まれたものだった。
「名前変えたぐらいで、よく素性がばれないね」
「結構難しいと思うよ。顔もほとんど変わってるから」
「どうして?」
「事故でぐっちゃぐちゃになったらしくってさ。起きたらこの顔になってた。まぁ、男前があがったと自分では思ってるけどね」
「……事故は、まじなんだ」
 そして数年前、その天才少年が海外の事故で亡くなったという悲しいニュースが舞い込んできた。
 生存者も多かった飛行機の墜落事故に巻き込まれて亡くなった天才少年のことを、日本では忘れてしまった者も多いだろう。
「そう。どうせなら死にゃよかったのにって……最初は俺を生かした早坂の家を恨んだけど」
「親父のカウンセリングにまんまと言いくるめられたんだ」
「まあ、結果そういうことになるのかな。今は、それでよかったと思ってるよ」
 精神科医、藤本のことはよく覚えている。自暴自棄になって、助けてくれた早坂の両親に当り散らしていた荒んだ心を救ってくれたのは、藤本医師のカウンセリングだ。
 珍しい苗字でもないため、意識してなかったがまさかその息子と同じ寮で、同じ部屋で暮らすことになるとは。
「事故がマジ話なら、音楽は戻らないんじゃなくて……戻れないの間違い?」
「っ!」
「早坂家だって、音楽家のお前がほしくてわざわざ金だしたんじゃないの?」
「は、はははは……手厳しいなぁ、藤本は」
 早坂家の夫婦も、イギリスの孤児院にいる天才少年のオルガンに惚れこみ、ぜひ引き取りたいと教会と話をしていたらしい。
 しかも、桐沢の家よりも先に話を持ちかけていたそうだ。なぜ桐沢の家に引き取られることになったのかは、詳細を訊ねていない。そのわけを容易に想像できたので、わざわざ口に出して訊ねるまでもなかった。
「桐沢家は探さなかったんだね。お前のこと」
「もうあの時は反抗ばっかりしてたから、興味が薄れてたんじゃないかな。コンクールでもひっどい演奏しかしてなかったし。うちは桐沢の中でも分家も分家だったから、本家の顔色窺って、これ以上俺に金もかけれなかっただろうしね。その辺、早坂の家とどんな取引があったのか、俺にはわからないよ」
 いつの間にか、口を割って出る奥底に押しつぶしたはずの言葉。
 藤本医師と話しているときもそうだった。誰にも言えずにいたことを、なんでも話せた。優しい表情で聞いてくれた。
「父さんは、もう一度やってみてほしいと言ってる。母さんもそうなんだろうね。でも、もうできないよ……思い通りに、指は動かないだろうし」
 日常生活を送る上では何の支障もない。音楽も――やろうと思えば、できるのかもしれない。
 でも、自分がどんな演奏をするのかを自身の指も、耳も知っている。全身が覚えている。以前の演奏に近づけない苛立ちに、負けてしまいそうで怖い。
「俺は、普通に生活して、普通にお金を稼げる仕事につければそれでいい。生きてることで……早坂の家や教会に恩返ししたい。音楽の世界には、戻りたくないんだ」
「だから、教育学部ね。なるほど。いいんじゃない? 聖橋学園継ぐなら早坂の家も文句いわないでしょ」
「ど……どこまで知って……」
「息子を亡くした夫婦が、同じ事故で瀕死に陥った天才少年を助けて息子として受け入れた。その天才少年は生かしてくれた義理の両親のあとを継ぐために勉強する。世間が喜びそうな感動ストーリーだね。俺は興味ないけど」
 ずっと本に視線を向けたままだった藤本がこちらを向いた。
 今まで言葉を交わすことはあったけれど、もしかしたら初めて視線が交わったのかもしれない。
 早坂は今まで、どんなに優しい視線を送られても、賞賛の言葉をもらっても、その奥にある混沌を見つけてしまっていた。
 しかし、全てを知り、興味が無いといいながらも視線を交わらせてくれたこの男の根底に、今まで散々早坂を苦しめてきた勝手な感情は何もない。
 この男が抱えているのは唯一つ――。
「……藤本先生も、藤本も、優しいんだね」
「巽」
「え?」
「面倒でしょ。巽でいいから」


 後になって、藤本医師に聴いてみたところ。
 父が寮に入ると聞かない早坂を心配し、藤本医師に相談していたらしい。ちょうど息子を寮に入れるから、事情を説明していいのなら息子と同じ部屋にさせる、という裏取引があったそうだ。
 その言葉に安心した両親から入寮許可がおり、現在にいたるというわけだ。
 それを最初から全部わかっていた巽が、わざわざ早坂が来るまでに寮内に悪評を広めていたのは、早坂の人柄を試すためだったのか。
 それとも。
「え? どっちかといえば趣味」
「……はい?」
「お前みたいな善人そうなヤツを困らせるの、面白そうと思って」
「それで俺が出てってたら、どうするつもりだったの? 藤本先生に怒られたんじゃ?」
「お前が根性無しって言われるだけじゃない? まあ、最初の反応見て出て行かないだろうとは思ったけどね」
「……え」
「外国育ちでフランクっていうより、どちらかというとお仲間だろう? だから使ってみればって言ったのに」
 背中に嫌な汗が噴出しているのがよくわかった。
「ほんと、やなヤツだね……お前」
「よく言われる」
「がんばって抵抗してるんだから、引きずり込もうとするなよ」
「引きずり込まなくたって、お前は勝手に堕ちるよ。きっとね」

 巽の予言どおり、早坂が抵抗むなしくそちら側≠ノ堕ちるのは――もう少し、後のお話。




2009/01/14 サイト公開


 
 
 

 
 
 

 
 
 

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