E.F.K short story #04

ほんものえがお

 半年間の研修を終えたあと、実家に帰るという選択肢は脳内に一つも持ち上がらなかった。
 自分が帰る場所はあそこしかないと、思っていたから。
 しかし、本当に部屋は空いているだろうか。人気のマンションだし、入居希望者も多いと聞いたことがあるから、すでに他の人が入ってしまっているかもしれない。
 無駄足になるかもしれないと思いながらも、和真はいつかと同じようにボストンバッグ一つでそこを訪れた。
 鍵は返してしまっているから、とりあえず、一つ目の自動ドアを抜けてポストの横から顔を覗かせる。すると、そこに半年ぶりにみる管理人の姿が。
「お? おー! 三上っ」
「こんにちは」
「どうした。研修終わったのか?」
「はい」
 学生時代に世話になっていたマンションの管理人――桐沢奏は、和真を見るなりすぐに二枚目の自動ドアも開けてくれる。
 和真はありがたく中に入り、招かれた管理人室に足を踏み入れた。
「どうだったんだよ、研修とやらは。今日の仕事は休みか?」
「はい。引越しもあるんで、新入りは今日から三連休です」
 和真が就職した大手出版社は、半年間の研修を終えるとそれぞれ実家へ戻ったり部屋を借りたりとしなければいけない。
 もちろん、部屋を借りる場合はもっと早くから動いているものがほとんどだが、和真は実家からでも十分通える距離なのでここがダメだった場合のことは深く考えていなかった。
 しかも実家に帰るつもりは毛頭ないときた。
 つまり、ここが大丈夫だと思い込んでいる自分を、かなり図々しく感じる。
「仕事は、求人のフリーペーパーになりました」
「へぇ。駅でよく配ってるやつか?」
「はい」
 早く話を切り出さなければと思うのに、なかなか口を割ってくれない。いつか、奏から切り出してくれるんじゃないかと、期待している自分がいて、さらに自己嫌悪に陥りそうになった。
 そんなとき。
「奏さん、おはようございますー」
「おー。おはよー」
 やけに元気な声が飛んでくる。
 和真が思わずそちらに視線を送ると、大きなゴミを抱えた青年が一人管理人室の前を通り過ぎていく。
 ……青年?
 いや、見覚えのある顔だった。
 まさかとは思うが、もし和真の覚えに間違いがないのなら、彼は青年というには少々失礼な年齢のはずだ。
 自分がしなければいけない話は置いておいて、思わず奏に問いかける。
「あの、さっきのって」
「あー、あいつな。この春先にきたヤツ。隣に住んでんだよ」
「塚田、修司ですよね?」
「はぁ? お前、なんで知ってんだよ?」
「あ、いえ……同じ高校だったはず、です」
 和真が通っていたのは、今時公立ではなかなかみない男子校だ。若草高校といい、この辺りではレベルの高い学校として有名だ。
 塚田と同じクラスになったことは無いが、多分、同じ学年で彼のことを知らない者はいなかっただろう。
「お前、高校どこ行ってたんだよ」
「若草です」
「へぇ、あそこか。頭いいんだな……って、修司もっ?」
「へ? 呼びました?」
 管理人室の小窓から覗き込む大きな目は、高校のときと変わらない。髪の色はあのころよりも落ち着いているように見える。ダークブラウンと言ったところか。
 高校時代は、ものすごく明るい茶色だった覚えがあった。
「お前っ、学校どこだ! 高校っ」
「若草です、けど?」
「んなバカなっ! なんで修司の頭で入れたんだ。公立だから、金じゃねーだろ?」
「……失礼ですね。これでも、中学生までは頭がよかったんですー」
 奏は納得いかない表情を浮かべながら、頬を膨らませる塚田を中に招き入れた。そこに、和真の姿を見つけてきょとんとする。
「え、と?」
「三上和真っつってな、二階に住んでるやつ。研修で半年いなかったけどな」
「あ、そうなんですか。初めまして、塚田修司です。一○二に住んでます。あ、ベガの見習いバーテンダーです」
 深々と頭を下げてきた彼は、きっと和真のことを何も知らないのだろう。一○二に住んでいるということは、カクテルバー「ベガ」のマスターと、そういう仲なのだろうか。
 いや、それとも、高校時代の噂どおりに――
「初めましてじゃねーだろ。同じ高校だったんだからよ。歳だって一緒だろ? お前ら」
「……え? だ、れでしょう?」
「多分、塚田が一方的に有名だっただけだから、知らなくて当然だと思う」
 目をぱちくりさせている塚田は、和真の言葉に大きくうなずいて奏に微笑んだ。
「そうなんですよー。オレ、高校生のときは問題児で。えへ」
「えへ、じゃねーよ」
 和真が現状で覚えている「塚田修司」の噂は、家に帰らず、女の家に入り浸り、送り迎えまでさせている。しかもその女は、とっかえひっかえしている。夜の仕事をしてる。ぐらいだろうか。
 しかし、和真がもう一つ印象的に覚えていることは、高校一年の夏前のこと。
 スポーツ推薦で高校に入ったため、結果を残そうと必死に練習に励んでいた部活。和真はある日の練習で、足を痛めてしまった。
 しっかり治すために通っていた病院で彼の姿を見たのだ。
 そのとき塚田のことは、隣のクラスで見たことがあるぐらいだったが、まじめそうな顔をして、髪なんかも黒くて、大事に紙袋を抱えていた。
 変な噂も一つもたっていなかった。
 あのときの塚田の印象は、その後の三年間の噂で植えつけられたものではなく、今目の前にいる彼と同じもの。
「高校はつぐみのとこにいたんだろ? 悪さするにもできなかっただろーが」
「つぐみさんに我がまま放題だったので……ずいぶん、甘えちゃいました。つぐみさんがいなかったら、高校卒業もしてなかったと思います」
「つぐみに我がまま言えるお前がすげーよ」
 和真を置いて進む話に耳を傾けていると、何かを思い出したように奏がはっと顔を上げてこちらをみてくる。
 なんだろうと首を傾げると、奏は言いづらそうに、でも言っておいたほうがいいだろうという空気をありありとだしながら何かを伝えようとした。
 が。
「あのな、みか」
「あ、マスター」
 花のような笑顔と、音符が飛び出した声にかき消されてしまう。新たな来訪者は和真も知っている顔だったので、軽く頭を下げる。
 塚田に「マスター」と呼ばれた男は、その呼称のとおり、カクテルバー「ベガ」のマスターだ。
 名前は、なんだったか。覚えてない。
「聞いてください。同じ高校に行ってたそうです」
 こちらを指差しながら、塚田が和真と自分の関係性をマスターに伝えると、彼は目を丸くした。
「え?」
 和真の知っているマスターは、決してポーカーフェイスを崩すことなく常に同じ表情をしている人、だったが。
「しかも同じ学年なんです。オレ、ぜんぜん覚えてなくて」
「同じ、学年?」
 思い違いだっただろうか。
 今は真剣な表情でじっと和真を見つめるマスター。すごい剣幕に思えて数歩、身を引きそうになってしまった。
 そんなマスターと視線を合わせておくのが辛くて、和真は奏に助けを求めた。
 すると、奏が心底呆れたように大きくため息をついている。
「……悪いな三上。あいつ、修司のこととなると頭のネジ飛んでるからよ……」
「はぁ」
 ぽつりとつぶやいた奏の一言は塚田には届かなかったらしい。
 マスターに一生懸命自分の高校のときのことを説明し、マスターはそれを一つも逃さぬように真剣に耳を傾けている。
 醸し出している空気からも、二人の関係は一目瞭然だった。
「……塚田」
「え? なに?」
「よかったな」
 一瞬、場の空気が止まる。
 しかしすぐに、塚田は満面の笑みを浮かべて大きくうなずいてくれた。
 それは、病院で紙袋に向けられていた笑顔よりももっと、心穏やかで、彼らしいもののように思えた。


 二人がいなくなった後。
「まぁ、たまには修司の話相手にでもなってやってくれ。あいつ、トモダチいねーから」
「あ、はい」
 奏が見慣れた鍵を差し出しながらそう言ってくれる。ありがたく、鍵を受け取る和真。
「ちなみに、な。怒らないで聞けよ」
「なんでしょう?」
「修司を最初に囲ってた女は、菅谷つぐみって言って、菅谷さんの姉さんだ」
「っ!」
「今は結婚して組とはまったく関係ない人だけどな。修司もいるし、たまにここにも来るだろうから……先に言っとく」
 なるほど。さっき奏がいいかけたのは、これだったらしい。
「組の人間もたまに来んけど……菅谷さんはまずこねぇと思うから、そこはまぁ、勘弁してくれ」
 奏は心底申し訳なさそうに深く頭を下げる。
 むしろ和真は、そんな奏に目を瞠ってしまった。
「我がまま言って、部屋を貸してもらってるのは俺のほうです。奏さんが気にすることじゃないですよ」
「いや、でもまぁ……組は、身内みたいなもんだし、な」
「それより、半年も部屋をとっといてくださって、ありがとうございました」
 バツが悪そうにしている奏を他所に、今度は和真が立ち上がって深々と頭を下げる。
 大切な人を傷つけた存在を許したわけではない。許せない気持ちは心の奥底に持っている。しかし、あの男一人が悪いわけではない。逃げた文目も、踏み出さなかった和真も悪い。
 だから、あの日、この手で思い切りあの男を殴ったことで、気持ちの整理をつけると決めた。そして、許されるのであればここでずっと、文目を待ち続けるのだと。
「これ、今までの分とこの半年分と。足りないと思いますけど」
 分厚い封筒を差し出したが、中身を見ずともわかったのか、手にとってはもらえない。
「これからはもらう。それはしまえ」
「……でも」
「じゃあ、代わりに高校の卒アル貸せよ」
「卒業、アルバムですか?」
「そ。凌の前でちらつかせてやる。あいつ絶対貸せって言ってくるぜ」
 にやっと口元に浮かべた悪戯な笑みに、和真は苦笑を浮かべながら「実家から持ってきておきます」と答えた。




2009/01/14 サイト公開


 
 
 

 
 
 

 
 
 

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